家庭環境の大きさたるや



東京に行ってきました


いくつか目的はあったのですが

初日には ひきこもりを考えるトークイベントに出席

経験者や支援者の声を聞きました



熊本地震後に少し暮らした石垣島でご縁をいただいたおっちゃんが

8050問題で本を出版されたりTVでコメンテーターとして出ていたり(結構すごい方でびっくり)と

そこから今回東京に行くきっかけとなりました


8050問題についてはこちら↓


実は身近な人が、

ひきこもりの支援をしてきた経験を持っていたり

家族が当事者であったりもします


「ひきこもり」という言葉には違和感を感じてきました


その違和感の正体が今回分かったのです

「ひきこもり=犯罪者」

という微妙なニュアンスが見え隠れしているのだと。

ひきこもり=「社会不適合者」というタグなのだと。



講演やパネルディスカッションで

・子ども時代に、家庭環境もしくは親に変わって惜しみない愛情を注がれる環境があることの大切さ

・子どもに、失敗したら乗り越えさせる(親が先回りしない)

これがどの当事者にも共通していることだと言われていました



逆の言い方をすれば

ひきこもりとなる方の根底に

・愛情不足

・失敗したら親が次の道を用意する

という環境がある、ということです



「愛情」という土壌に自己肯定感が育つけれど

それがないと社会生活で生き抜くのは難しい



子どもにはできるだけ幸せでいてもらいたいから

親が先回りしちゃうってことは

それはそれで愛情の一種だと思います

わたしも気をつけなければとヒヤッとしました



愛情を注げない親は

愛情を注いでもらってないかもしれません


失敗させない、乗り越えさせない人は

失敗させてもらえなかったかもしれません



こんな小さなことの積み重ねが 一人の人間をつくっていきます





カリタス小学校のスクールバス待ちの親子を襲撃した事件を覚えていますか


この犯人はひきこもりさんで

彼は幼くして親に捨てられました



もちろんそんなことはご遺族や被害者には関係ないし

ひたすらぞっとするのですが

背景を知らずして未来の事故は防げない気もします



2度とこんなこと起こってほしくないからこそ

まず今できることは

批判ではなく

怖がることでもなく

家族を大事にすること

いじめをしないこと




わたしには犯罪は一人では生まれないという思いもあります


心が満たされていたら危害を加えようなんて思考になりません


引き金を引いてるのは犯人だけど

その引き金を引くほどまで追い詰められたのは

一人の責任とは言えないのではないかと思います



家庭環境の大切さたるや。




今日はここまで。

またこのトピックでお伝えしていきます

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