日本人は優しいと思うのだけども。
わたしには双子を育てる友人がいます
求めていた子ども
願って願って ようやく授かった子ども
子どもたちへの愛情はどこの誰にも負けないとしても
やっぱり大変さは想像を超えていて
実質的なサポートの手がなければ難しいことは 思う以上に多いようです
親だって精神的にも肉体的にも成長する
それでも子どもたちのパワフルさに追いつかなかったり
身動きが取りづらかったり
家にこもりがちになるというのは実際に親たちを取り巻く状況です
双子のベビーカーが公営バスに乗ることを拒否されたというニュースがありました
ここで見られた意見は
「多くの人が利用するためのものだから仕方ない」
とか
「双子のバギーは大きすぎる」
とか
「乗る時間を考えることも必要」
とか
「時刻表通りに行く必要があり 運転手の手をとることが難しい時もある」
とか様々でした
日本でなければ このことは特に問題にならないと思います
わたしがみた海外のほとんどでは
赤ちゃんや子どもを連れた保護者が 引け目を感じる空気がありません
ベビーカーは混んでようが何だろうが当然のこととして受け入れられます
車椅子でも同じこと
それに誰かが声をかけたり手を貸してくれます
乗ったら乗ったで 立っている乗客が
「このお母さん座らせてあげて!」なんて言ってくれる人もいるのです
「困ってる人をほっとかない」
というスローガンでもあるかのように
当たり前にその精神が根付いているようでした
他者に手を差し伸べる人が 日本は圧倒的に少ない
残念だけどこれは わたしが見た現実です
いつからか日本で流行りだした「自己責任」と言う言葉で
知らない人に手を差し伸べないことを正当化してきたのではないかと
ちょっと辛口だけど思ってしまいます
それは『日本人は優しくない』ということとは違います
優しいです
優しさは奥深いと思います
ただ 声をかける勇気がなかったり
「逆に迷惑かな…」と遠慮したり
他者に関心がなかったり
周りを見て心を配る余裕がなかったり
30kg近いスーツケースと10kg以上のバックパックと
幼い娘を連れて旅ができた理由の一つは
いつだって手を差し伸べてくれる人がいたからでした
荷物が多いのは完全に個人の勝手です(自覚してるよ)
それでもそんなことはどうでもよさそうに
道ゆく人は ただただ 気持ちよく助けてくれたのでした
重い荷物を持っている人がいたら手伝ってあげればいい
迷ってそうな人がいたら声をかければいい
車椅子は 小さな段でも登るのが難しいことがあります
そんな時には手を貸せばいい
大して時間もかからないことが多いでしょう
困った時に手を差し伸べられないということは
困った時に手を貸してもらえなかったということの表れかもしれません
だったら 手を貸してもらう人を増やしたい
マイノリティに不便を押し付けて
多くを守るというやり方でない 別の方法を探す世界であってほしい
こうやって 声を挙げたりニュースに取り上げられることで
聡明な専門家がうまいシステムを作ってくれることを期待したとして
一方で資源である「人」を活かしていくことは
実は一番大切なのではないかと思うのです
娘にもそんなあったかい世界で生きていってほしいから
写真はセルビア・ベオグラードの駅にて。
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