彼もsurvivor:家族と再会できますように
ストックホルムでお世話になっている友人の家には
アフガニスタンから来てるシェアメイトがいます
もうすぐハタチになるカリム(仮名)くん
15歳のとき
アフガニスタンを出るか
戦闘員としてIS等と戦うかという究極の選択を迫られ
家族と別れて国を出ました
娘と一緒にアイスを貪っています
とっても優しくてユーモアがある彼
ここまでの道のりを聞かせてくれました
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彼のお父さんは10歳の時に他界
それからは家計を助けるために働き始め
午前中は学校、午後は大工の仕事や冬には雪かきの仕事などをしました
アフガニスタンは
タリバン・アルカイダ・ISがもうしっちゃかめっちゃかで
今だって毎日 何十人も 時に何百人も亡くなっています
15歳頃になると村の男の子たちの多くは
ジハードの名の下 戦闘員となり
その多くが犠牲になりました
「どこどこの誰々がISに殺された」
となれば
「どうにかしたい」
という気持ちも出てくるし
村長のような 圧倒的な権力を持つ《ムッラ》の存在も大きい様子
カリムくんの話によると
ムッラは 村の全てを取り仕切っています
彼らの影響でジハードをすることが当然のような感覚になってくるそうです
また
毎日どこかで戦争があっているくらいなので 仕事もろくに得られない
となると 戦闘員になることも就職の一つのような感じなのです
カリムくんも当時15歳で
ほかの男の子たちと同じように戦闘員となるのか
選ぶことになりました
彼は長男で 弟と妹がいます
お母さんは牧畜の仕事で朝7時から夜12時まで働きづめ
それでも自分が家計を助けなければなりません
当然 戦闘員となるかならないか という選択を迫られるわけです
そんな中で お母さんは
「勉強して 生活できる道を探しなさい」
とおっしゃったそうです
それでここまで来ることになるのですが
アフガニスタンからイランまでの道は闇業者に頼みました
その費用はイランに住む叔母が出してくれました
イランからトルコにたどり着き
そこからは
ギリシャ・マケドニア・セルビア・ハンガリー・オーストリア・ドイツ
そしてここストックホルムと
私たちが通ってきたのと同じ国を通過してきました
もちろんそのシビアさ、危険度、苦労や疲労は
どうしたって比べ物になりません
私が分かるのはせいぜい距離感くらいです
アフガニスタン=イラク間の普通の国境はもちろん超えられないため
20日かけて歩きで山越えをしたり
普通のセダンに13人も乗ったり
イランとトルコの国境で
一緒にアフガニスタンから逃げてきた約200人うち5人が殺されたり
12畳ほどの広さの部屋に約70人で寝泊まりしたり
1日 5人で1,5リットルの水しかないこともあったり
ハンガリーでは警察にだいぶ暴力を受けたり
それも女性も子どもも容赦なくやられていたり
足に怪我をしても治療できず アテネで縫合してもらったけど
ハンガリーで受けた暴行でまた開いてスウェーデンまでそのままだったり
さらりと書いても重い内容ですが
そんな現実を生き抜きました
体にいくつもの傷跡がありました
たどり着くまでにできた傷です
彼の家族は今 パキスタンにいます
弟たちは 戦闘員になるのかという選択をしなくても良い状況にいます
だけど連絡がとれていません
どこにいるのかも分からないそうです
来年 カリムくんはパキスタンへ行き 家族を探すそうです
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)へは登録してあるはずなので
どうにか探せることを期待している と言っています
彼はいま学生で 学びながら バイトをしています
スウェーデンに来てから 英語でたくさんの本を読みました
政治、経済学、ガンディやネルソンマンデラなどの伝記も
学ぶことがとてもおもしろいそうです
いちばん 経済学が好きだけど
それだと食べていくのに苦労するかもしれないので
エンジニアになるために学校に行っています
実直な彼を前に 急にふらふらした自分が恥ずかしくなりました笑
彼には強さを感じますが実は過去のトラウマと戦ってもいます
あまりに厳しかったここまでの道程
今はクリスチャンとなり前とは違う神さまを信じています
彼にとってはそれが大きな安らぎになっているそうです
信じるものがあることの強さです
たくましく生き抜いてほしい
近い将来 家族と再会できますように
そして
「いつか家族を呼び寄せたい」
という願いが叶いますように
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