オマルくんのお母さん :子どもを思う親ごころ
6月に滞在したブリュッセルでは
トルコやシリア難民家族に会いました
ブログでご紹介したこの子
覚えていますか?
シリアから来たオマルくん
この子のご両親が
2度目のブリュッセル滞在時
シリア料理でもてなしてくれました
実はトルコでアタルくんにシリア料理屋さんに連れて行ってもらってから
娘はシリア料理の虜に!!
ヨルダンで毎日のように食べた ひらべったいパンも大好きで
とても楽しみにしていました
お母さんお手製のシリア料理を 私たちは夢中でいただきました
お母さんとお会いしたのは実は初めて
ずっとお話ししてみたいと思っていたその機会が ふいにやってきました
16歳で結婚し 今まだ40代のお母さん
ベルギーではフランス語の語学学校に通っています
子どもたちは学校で学業に遊びに習い事に と充実していたり
仕事も少しずつ軌道にのってきたり
さらに孫たちもベルギーの暮らしに慣れてきていたりと
新しい生活がすでに始まっています
お母さんたちは
子どもたちのようにスムーズに生活を切り替えることは難しいようで
「それはやっぱり平和が戻るならシリアに帰りたい」
という正直なお気持ちをお聞きしました
政治は好きでなくても
シリアが大好きなのだと
彼らの家族は今ここに揃っています
お父さん、お母さん
長男夫婦・長女夫婦・次男・三男
長男夫婦に孫3人、長女夫婦に孫1人
長男夫婦、長女夫婦は
お父さんたちよりも先にベルギーに逃げてきていました
彼らを頼って
当時15才で未成年だった次男マハムッドさんが1人
ちょっと危険な方法でシリアを出国
彼が未成年であるため
保護者である両親と三男のオマルくんが
ベルギーに合法的に安全に渡ってくることができたのでした
一番末のオマルくんは11歳
同じ母親として一度話をしてみたかった
彼が5・6・7歳の頃のシリアは
それはそれは大変な状況で 聞くだけで地獄絵図
家を出ると首がない人やどこかがない人
吊るされた人が
何日も何日も晒しものにされています
爆発の後に
どなたかのいろいろなパーツが降ってくるところも見ました
毎日毎日
「自分が死ぬかもしれない」
「家族が死ぬかもしれない」
「誰かがああなるかもしれない」
という恐ろしさの中にいました
ある時 お父さんが大学に行く用事で 出かけてから
3週間 帰ってこないこともありました
連絡もつきません
当時は もう政治も何もあったものではなく
許可なしには市外に出られないというルールがありました
お父さんは許可を取っていましたが
実はその時 投獄されていたのでした
誰に連絡することもできず
小さな部屋に40人も詰め込まれ
60代のお父さんには とてもハードな3週間だったそうです
あるとき
看守に
「何の罪でここにいるのか」
と問われ
事情を説明すると釈放されました
このくらいワケの分からない状況なのです
これで何年も投獄される人だっているはずなので
3週間で出られたのは とてもラッキーだったと長男のハッサンは言いました
結果オーライだったけど(とは言えませんがもちろん)
家族はお父さんが 帰ってこない恐怖も味わいました
オマルくんは年齢と共に怖がる気持ちが増しています
前はもう少し子どもらしい無防備さがありましたが
今は100m先に1人で行くこともできません
1人で眠れますが
昼間でも1人で家にいることはできません
理解とともに恐怖が増してきたのかもしれません
記憶が色濃くなってきたのかもしれません
話しながらお母さんは泣きました
わたしもお母さんと一緒に泣きました
子どもを思う気持ちは世界共通
安全に
幸せに生きて欲しいと大抵の親は思う
恐怖に脅かされることを誰が望むでしょうか
心の傷もいつか乾き
いつか癒えると信じて
強く生きていくことを信じ願う親心
彼らの越えてきた現実や
今の生活の大変さは 想像してみても
どこか少しぼやっとしています
わたしには現実味が持つことが難しいほどに過酷すぎるのと
幸せの尺度がそれぞれなのと
文化の違いもあり
痛みを十分に理解できるとは言えません
でも
子どもや家族を思う心は
輪郭はっきりと
鮮明に 心を寄り添わせることができます
オマルくんの幸せを
心の底から願います
ベルギーに住む家族みんなで撮った一枚
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