「とりあえず逃げ場所はあるよ!」なヨルダンの懐深さ

彼はヨルダン人です

Jordan River Foundationという非政府組織で
ヨルダンに住むとりわけシリア難民の子供たちやその家族をサポートする
事業を行なっています

その事業についての説明はまたの機会に。



彼、Mohammadさんに
どうしてこのお仕事を選んだのか聞いてみました


両親からはHelp people(人を助けなさい)と言われてきた。

    何か小さいことでも
    見てるだけではなく
    行動することが大事だ
    ということを教わってきた。

     苦しんでいる人がいるなら少しでも力になりたい」

と答えてくれました



英語も堪能
パソコンもバリッとされ
対応の爽やかさを見ると
とても優秀な方にお見受けします

自分の能力を 誰かを助けるために発揮しています


かっこよすぎて鼻血が出そうでした




取材旅に出て
興味が止まらないのが
難民支援をされている方のこと



ドイツでは退勤後や休みの日にボランティアをしている学校の先生がいました

ベルギーでは
自分も難民として来た立場でありながら
続々と増えていく同じ立場の人々のサポートを
買って出た人がいました

人ごとと思えなかった、と
流れて来たばかりの人を安全な民家で保護する活動をしている方がいました

ここヨルダンでは
団体の中で支援の中心を担っている人々がいます



暇だから
裕福だから
人助けができる余地がある

ということとは違いました


ご自分の信念のもと
それぞれ置かれた状況の中で取り組んでいます

仕事にしている人もいます
豊かな生活をしているから手を貸せるという人もいます


どんな状況であれ 何を選ぶかはその人次第



***


ヨルダンははっきり言って経済的には豊かではない国です
また難民の流入は確実に 経済に影響を与えていま

3つ前の記事でも少し触れましたが
失業率も高く
難民として流れてきた方が
安心して豊かに暮らせるという現実には
遠い場合も多いのです

昨日広場で知り合ったお母さんも
「ここでは働けないのよ!」
って笑ってました

彼女はヨルダンに暮らすパレスチナ人でした



でも
難民を受け入れるんです


無責任だと思いますか?
自分の国民の抱える問題を解決する方が先だと思いますか?



いろんな意見があると思いますが
わたしは
敬意しか持てません




「うちも大変だけどとりあえずおいで!」

って
今飢えてて危ない状態の隣の子を
食事に誘うような感じに見えます


もちろん 中ではいろんな問題も意見もあり
そこから生まれる問題もまたあるわけですが






国際協力のボランティアをしてる時に
何度も聞いた言葉を思い出しました

「まず自分たちのことでしょう」
「まず熊本を良くするのが先でしょう」

もう10年も前のことです

ある面から見るとそれは正しいでしょうし
立場によって判断が違うのも想像できます



だけど
いつになったら人に手を貸せるのでしょうか


いくら貯金できたら?
全国民が納得したら?


常に問題課題はある中で
常に何かを「しない」理由がある中で

一緒に未来をつくろうとするかどうか

という意志が判断を左右するのではないかと思えてなりません





ヨルダン・ハシェミット王国が
日本やほかの国々でできないほどに庇護者を引き受けていること、
その状況を受け入れている国民、
現地で奮闘する支援者たちに  敬意を表したいです


そこにも もっともっとスポットを当てていきたい


0コメント

  • 1000 / 1000