アンネの日記、お目にかかりました

アンネ・フランク生誕90年


彼女がもしホロコーストの犠牲にならなければ
今までご存命だったとしたなら
6月12日で90歳をお迎えになられました


私が今いるドイツ・フランクフルトは彼女が生まれ
6歳まで育った町です
今の娘と同じくらいです

その後、
彼女は家族と一緒に迫害から逃れるためにオランダに渡ることになります。



彼女の誕生日なんてことも知らず
昨日、ユダヤ博物館に行ってきました


ユダヤ人がドイツ・フランクフルトで経てきた歴史を
大昔から辿っていました

その昔、ユダヤ人が入ってきたときにはフランクフルトのせまーい一角に
ユダヤ人区域が決められていたことを知り
「あれ、パレスチナやイスラエルとデジャブじゃないか」
なんて思いながら
彼らもずっと場所(国)を持たずに民族を絶やさずすごいなー、
大変だったんだなーなんて思いながら

「それで?それで?」と近代に近づくことを期待していました


「あれっもう終わり?」
な感じで終わりましたwww
歴史の割にワンフロアでしたwwww
昔からここにある博物館ですが未完成のようですwwwwwどひゃー


でも、昔のユダヤ人区域にそのまま博物館があり
いかに狭い空間に人々が暮らしていたかを体で理解できたりと
展示の質はとても高かったと思います。
多分ネ
ソンナ博物館行ッタコトナイケドネ

そして受付の人もドイツ語だけのコミュニケーションでだいぶ優しくしてくれましたありがとう。
分カラナクテゴメンネ


帰る間際、エントランスで
明日から始まるらしいアンネ・フランク展を
良いのか悪いのか知らずに見てきました

彼女が実際に書いた日記
遊んでいた家の形の積み木
刺繍
おじさんなどに充てた手紙

など たくさんではないけど
本物を展示してありました
(そもそも隠れ家の生活で たくさんの遺品はなかったのだろうと思います)

城田優さん似のめっちゃイケメンな女性が
一つ一つ紹介してくれました


アンネ・フランクを
「ユダヤ人で、迫害にあって身を隠し
ギリギリまで日記を書き続けた勇敢でかわいそうな女の子」
ってくらいにしか覚えていなかったけど
それでも記憶にはあるもので
それはきっと彼女の人生に対する衝撃が大きいからこそなのだろうけども
その彼女の生きた証を生で見ることになるなんて。



まだそれらは古びてなくて
「きっと、うちのかーちゃんが幼い頃遊んでたものより新しく見えるだろうな」
なんて思うほどで

当時の社会問題をユダヤ人になすりつけて
民族ごと一掃しようとして
ドイツ民衆を操り、反対派を処理しながら
合法的にうまーーーくやってしまった恐ろしい殺戮は
私たちのおばあさん世代に行われたくらいに最近のものだと実感し
背筋がヒヤッとしました

詳しくはウィキペディアへどーぞ。



カンボジアもルワンダでも
もっと小さい規模の紛争でも
戦争でも
特別な極悪人だけが関わっていたのではありません


広くは裏に国際社会問題があったり
どっかの国が仕掛けていたり
権力問題が絡んでいたり
色々しちゃうんだけど

「それが正しい」と信じ切った
普通の、私たちみたいな一般人が関わっているし
時には手を下しているし密告もするし
その中で「これは間違ってる」なんて気づいた人の割合なんてもう分からないし
気づいたところで止められないし


つまり
どこにでも誰にでも起こりうることです


情報操作や
うまーい心理戦であやつられるなんてきっと簡単。


だから
ちゃんと目を開いて
自分で考える
情報を待たないで自分でも調べる

「自分だけが安全ならいい」
ではない大きな視野を持つことが大事だなーと改めて思います

今この時だって
日本でだって必要なことだろうな


町のあちこちにあるこれ。
犠牲になったユダヤ人が暮らしていた場所にプレートがあります。

紆余曲折経て
負の遺産を隠蔽しないと選んだところは
この国の良い遺産かもしれません

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