no equality,no peace


差別はダメだと言うけれど何が差別かを分かっているかと言うと

ちょっと自信がありません


偏見はダメだと知ってるけど
ちょっとのぞけば 私の心にもそれはあります


大人になり価値観が定まってきて 頭も固くなりました

少女漫画で出てくる、子どもからすれば 敵キャラ決定!な親の気持ちだって

よーーーーーく分かるようになりました


あの時には確かに感動したはずなのに同じページを読んでも

「気持ちだけで突っ走ってもさぁ」

「いや、親はここをこう心配してるんだよ」

なんて呟いてしまいそうな今です



本当に人種差別がいけないと思ってはいるけど

してないかと言えばゼロとは言えない

人種はピンとこなくてもいろいろな差別は身近にあり

決してそれと無縁ではないのです



アメリカでの黒人さん差別は

私たちは分かりやすく「NO」と言える


だけど

もうはっきり国名を出しちゃうけど

韓国人差別がないだろうか

中国人差別がないだろうか


西洋人はなんとなく上で

それ以外はなんとなく下 認定していないだろうか



ホームレスは避難所に入る資格はない というのはどうだろうか


障がい者はどうだろうか


性犯罪被害者へはどうだろうか


「テロで犠牲になったフランス人はかわいそうと思うに値するから

Facebookのアイコンはフランス国旗にする

だけどアフガニスタンで起こっていることや

シリアから逃れてきた人は「よく分からない」で流れていく」

という現状の延長には何があるだろうか



パレスチナは

ロヒンギャは

ウイグルは


福島は


ハンセン病患者は


水俣病患者は


コロナウイルス罹患者は



自分を「ひとり親だし…」と引け目を感じていることに気づくと

同じ「欠けてるもの」がある人を下に見ているのではないかと はっとする



センセーショナルな話題に心を動かされ

時に何かを発見したり 行動を変えたり何かのアクションを起こしたくなるということはあります

それは時に人生だって変えることがある


沈黙は黙認と同じ、
意思表示や アクションは大事だと思っています



だけど黒人差別も 上に並べた色々も 紙一重


私たちは 黒人と白人の微妙な距離感、空気感の違いが分かりません

彼らの間に流れる難しい空気を 知りません

黒人さんが奴隷とされていた歴史があり

白人優遇の法によって白人は守られてきて

それを異世界の私たちはNOと言わず自然と受け入れてきた


当事者じゃないから この差別は間違ってる!と声を大にして言えます簡単に


自分の考えを変える というのは結構しんどいです

脳はあんまり変化を好まない構造になってるらしいです



自分ごとになると時に差別や偏見や迫害が正当化されることもままある。

「だってあいつら乱暴だから」

「あいつら素性が分からないから」

「差別じゃなくて区別だ」

とかいった感じで。


白人主義もそうだし

私たちのお隣の国に向ける目もそう


差別を差別と理解せず 目を背けた方が自分にメリットがあるならば

できるだけ恩恵にあずかりたい と思う弱さを人間は持っています



わたしには偏見がないとは言えないけれど 

だからいつも自分に投げかける


命を重んじているか

特徴を捉える、の度を越えて 差別をしていないか


知らず知らずに芽生えてた偏見を育てないために。



だから旅に出ました


難民が差別を受けるに値する人たちなのか

イスラム教徒は危ないのか


を確めに行ったような感じです


ありがたいことに、そんな人これまで1人も出会っていません



好き嫌いはどうでもいいの

べったりしなくていいの

ただ尊重し合って 程よい距離感で 誰も不利益を被らなければそれでいいの

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