トラックのネジをとっちゃおう 〜辺野古のお話2〜

辺野古のお話の続き。





子どもたちのお話です。


4歳のうちなー(沖縄人)男の子と

5歳の大和(日本本土)のウチの娘



わたしが反対運動に参加しているおじぃ達にお話をお聞きしている間、

2人は 男の子のママと一緒に テントの間で

まつぼっくりを拾ったり

おじいおばあ達に声をかけてもらったりしながら過ごしました



そろそろトラックが入るキャンプの入り口に移動するというタイミングで

子ども達はお手洗いへ。


(テントにはお手洗いがなくて必要なときには近くまで送迎車で移動します

そんな手間がかかりながらもみなさん参加されていることに驚きました)


正直なところ

どんな動きになるのか

もっと突き詰めて言うと

危険があるのかどうなのか

子ども達にとってショックな出来事があるのかないのか

読めなかったので距離を見計らってもいました



子どもに、現実を見せたいという思いと

まだ幼い心にずしんときすぎるものは

年齢や状況を見て判断したいという親心もあります


拡声器で響く 勇ましい声にも

二人がどういう表情をするのか慎重に見ていました





私だけその場に残り

子どもたちとしばし離れ、
再度集合したのはトラックがキャンプに入ってしまった頃。



お手洗いから戻ってしばらくは遠くから様子を見ていたそうです

(私の活動を応援し、理解し、支えてくれる友人に心から感謝😂)



まだ4歳と5歳のこどもたち。



「どこまで理解するだろうか」


そう思いながら 分かりやすい言葉で

今見たことがどういうことなのか説明しました



ここはね、日本なんだけど

このフェンスの中は日本ではないんだよ

アメリカっていう国のものなんだよ

今ね、そこにトラックが砂や土を運んでるんだよ

そしてね、海の中それを入れて飛行機の道路をつくってるんだよ

その飛行機はね、君たちが乗る飛行機ではなくて戦争で使うものなんだよ

土砂を入れたらお魚さんたちが困っちゃうんだけど

あの人たちは

「ダメだよー、海をこわさないでー」

「戦争でつかう飛行機なんかいらないよー」

って言ってるんだよ

だからね、怖いことではないんだよ



二人はどう思うかな?

どうしたらいいかな?



このちょっと難しい問いに対し、彼らは意見をぶつけてくれました


「どしゃとうにゅうはダメだと思う」

「ジュゴンがしんでしまうのはイヤだ」

「お魚さんのいえがなくなってしまう」

「あの警察みたいな人たちがわるいんだよ、つかまえよう」

「トラックの人がいけないんだ!」


とこんな流れになり。



子どもたちはヒーローものを見ているからなのか

分かりやすいからなのか

「誰が悪いか」を決めようとします


ここが現実の難しいところ。


ただ誰かが悪い、というやり方では

理解することを妨げ

また争いを生んでしまいます



「あの警察みたいな人たちはね、悪者じゃないんだよ

あの人たちは、

そうしなきゃいけない、

日本を守るために飛行機をおかなきゃいけないって思って

ああやってるんだよ。

だからね、警察の人もトラックの人も

ここにいる人 誰も悪いんじゃないんだよ」



子どもたちは不思議そうでした。


帰り道、二人で話をしていました


そして4歳と5歳の2人が出した答え。



「ドライバーをもってこよう

そしてトラックのネジをとっちゃおう!」




誰も悪くないことを理解した彼ら。

小さい頭で 見たことを少しずつ消化し

一生懸命考えました



それがかわいらしくて

この答えがかわいらしくて

そしてそれが誰も攻撃しないもので


涙が出そうでした



うちなーの男の子は、海は身近なものです


「どしゃとうにゅうはダメだと思う」

「じゅごんがいなくなっちゃう」

と帰ってからも翌日も何度も言っていました



そして

「せんそうはしちゃいけないよね」

ふたりはなんども確認するかのように話していました





大人にだって難しいこの課題を幼稚園に通う彼らが考えました


理解しようとして

自分の力で考えることこそ

ここで経験してほしかったものでした


その尊さと言ったら。


「理解し、考えられる人」になってほしい。

それだけは唯一娘に望むことかもしれません

できるなら全ての子どもたちに。


こどもたちに伝えていく、ということが使命かもしれない、と思わせてくれる1日でした



***


数日後にTVでスーダンの数年前の紛争の映像が流れました

それを見て

娘は泣きました

「せんそうくるの?」

辺野古を見たことで 少し身近なものに感じたのでしょう

怯えていました


まだ現地に行くのは早かったかな という思いもありましたがもう仕方なし。


「しないようにしようね。

自分たちでしないって決められるんだよ」

と答えました


「こないよ」

と言えないことが悲しかったですが。


「戦争があっているところから逃げてきた子どもたちが

ヨーロッパにたくさんいるんだよ

だからね、会いに行ってお友だちになれたらいいなと思って

行くんだよ」


1ヶ月後の渡欧を前に 準備運動のような旅でした

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