辺野古のおはなし
会社を辞め
娘は幼稚園を辞め
晴れてフリーター親子となった私たちは沖縄へ行ってきました
安室ちゃんに人生だいぶ影響され
モンパチに救ってもらった身としては
沖縄はとても思い入れのある大切な場所です
(モンパチのドラマーさんにギリギリ空港で3分だけ会えて
お土産までもらえて こちらからも渡せて
幸先良いスタートをきれたこと、自慢させてください♡)
ママ目線でいくと、子どもが遊べる場所の豊かなこと!
公園や公共の施設もすばらしくて
自然と良いバランスで子どもの感性を育める空間がありました
今回の一番の目的地は辺野古。
どんな場所なのかどんな空気感なのか
基地の辺野古移設に反対している人の思いはどんなものなのか
今、ここで何が行われているのか
知りたくてお邪魔してきました
5歳の娘と沖縄人の4歳の男の子も一緒に。
辺野古移設についてざーーっくり言うとこんなこと。
住宅街の中にあって「世界一危険」と言われる 普天間基地の移設先として
辺野古の米軍基地キャンプシュワブが選ばれました
滑走路建設のために 海を埋め立てています
で、出てくる疑問がこんな感じ↓
美しく豊かな海を潰してまで基地がいるの?
そもそも米軍基地いるの?
どうして沖縄に集中してるの?
歴史を見ると いつだって沖縄は支配されてきたり犠牲になってきたけど
それは沖縄が日本の一部であって日本でないから?
つい先月、県民の6割が投票で「辺野古移設 反対!」と表明したのに
どうして政権はこの声を聞いてくれないの?
こんな疑問を持ち
憤りを感じている人がいる今も
辺野古の海は土砂に埋まっていっています
1日に3回
朝9時、お昼12時、午後15時
それぞれの時間に100台近くのトラックが
土砂やコンクリートを積んで
キャンプシュワブの入り口にずらりと並びます
トラックが並び始める頃
反対派の方々は 屋根や椅子のある待機場所から150mほど先にある
トラックの入り口の方へと移り
歌や言葉で「反対」を叫びます
非暴力のバリケードの後ろには警備さんが並び
それを機動隊の方が見守ります
時間がきたら
機動隊や警察の方は、
反対派の方たちに移動してもらうように促しますが
もちろんそれで退くわけではありませんので
次に一人ずつを数人がかりで安全な場所まで運んでいきます
そして トラックが入っていくのです
相当な台数ですので、入るだけで30分以上かかります
那覇市内から辺野古まで 高速道路を使って1時間半強。
朝から来て、長い人は1日の大半をそこで過ごすわけです
「そろそろ時間」
と言って待機場所からトラックの出入り口まで移動し
歌を歌い 奮い立つことを毎日3回
正直に言うと
はじめはルーティンワークになっているように見えていました
だって非暴力のバリケードでトラックを阻止できるとは思えないから
きっとそんなこと誰もが分かってやってるから
だけど
県民の民意は無視されているけれど
こうやって声を出さなければ
何にもならないとしても声をあげていかなければ
それが後世への私たちの責任だと
本気で思ってやっておられることが伝わりました
当たり前のことだけど
私が外から見て持つ見解よりも
もっと深くて大きな意味を持って反対していました
色々な意見があると思います
反対しても意味がない
とか
反対することの代替案はあるのか
とか
隣国から攻撃があった場合はどうするんだ
とか いろいろ
それはそれ
だけど人生の大事な時間をかけて取り組んでいることに
私は尊敬の念を抱くし
耳を傾けないことのもったいなさを感じました
そして機動隊の中にも沖縄の方と思われるような容姿の方もいらっしゃるわけです。
仕事はしっかり全うされていました
「戦時中の日本兵がこんな感じだとしたら怖さしかない」
とブルッとなるほどに表情を崩さず
とても威厳のある姿勢で。
だけど おばあを道の向こうまで誘導するその手に
優しさを感じたことも事実です。
彼らには彼らの正義があるはず
だけどもしこれが隣のぼっちゃんとおばちゃんという間柄なら
今向き合うこの課題について
どう話をするんだろう、なんて
答えもない問いが
頭によぎるのです
私は誰が正しいとか
何が正解だとか
答えを持っていません。
「どう思えばいいのか」
「何をすればいいのか」
それが知りたくて足を運んでいます
全然頼りにならないTVニュースは論外だし
誰かのSNSではさらっと知れても私は空気感まで掴むことができないから。
だけど知ること、
知ろうとすることが
世界平和への一歩ならどこへだって行きたい
行きたいんです
そこでお聞きしたお話はまた今度ご紹介しましょうね
順応力の高い私は ようやく沖縄弁が抜けてきました
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