靴にも人にも教えてもらった:ユダヤ人迫害の歴史と難民問題

The 9th country is Austria
 I arrived Wien though my soul is still in Hungary 



ハンガリーにまだ魂を置いてきたまま
オーストリア・ウィーンへと来ました


あー電車の乗りやすいこと!
時間はちょっとしか遅れないし分かりやすいし清潔だし…

陸で旅をすると 大小いろいろな変化を見れておもしろいです



ウィーンに着いて早速 遊びに行った公園

10家族くらいが遊んでいたのですが
8家族はスラブ系ムスリムのご家庭

ハンガリーではあまり見かけませんでしたので
なんか ただいま!という感覚になる不思議



さて ちょっとハンガリーのおさらいをします

昨日はさらりと難民受け入れの反対理由について書きました

その中にはユダヤの方々との関わりも絡み合っておりました


ちょっと歴史のお勉強を
かなりざっくり目にいってみましょうね

第二次世界大戦でハンガリーは日本やドイツと同じチームでした
敵はアメリカ・ロシア・イギリス・フランスなどの連合軍

ドイツと仲良くしてましたが
ハンガリーが終戦から2・3年前に 戦争もう嫌になっちゃって
ちょっと連合軍側に お近づきになろうとします

第一次世界大戦でハンガリーはだいぶ領土を失ったので
もうこれ以上減るのは避けたくて
負けるかもしれない側にずっといることは避けたかったのでしょう


でもそれがドイツにバレちゃって大変!
ナチスドイツのコントロールが始まります

でも結局ドイツや日本は負けちゃって
つまりハンガリーも負けちゃって
ハンガリーはロシアの取り分となり
40年以上も支配下に置かれた という流れです



ハンガリーにもユダヤ人は多くいました
ただ多くの国でそうあるように とても地位が低かった

土地を持てない、武器持てない、財産持てないなど
ユダヤ人でないなら認められる権利に
さまざまな制約がありました

歴史上で長い間そんな扱いを強いられてきた民族です


ハンガリーでのユダヤ人迫害が始まったのは終戦の8ヶ月ほど前

まずは地方から始まり  最後にブダペストのユダヤ人が
アウシュビッツや他の収容所へ送られていきました

それとは別に
ナチス寄りの思想を持つハンガリーの政党「アロークロス」が
を効かせるようになり
ユダヤ人をドナウ川の岸に集め
銃殺することがエンターテイメント的に行われていたようです

収容所でも 靴や髪の毛、金歯などは資源として集められていたのですが
ここでは靴を脱がされ 撃たれてドナウ川へ落ちるのでした


目を奪われるほどの美しい景観の中心にあるドナウ川添いに
靴の像がいくつも並べられているメモリアルポイントがありました


いろんな靴がありました

ブーツ
女性用のヒールのある靴
子どもの靴

飴やキャンドルが供えられていました



話をしてくれた方の遠い遠い親戚は
兄弟やお母さんが撃たれた横で
タイミングを合わせて川に飛び込んでどうにか生き延び
本当にどうにかこうにか生き抜き
国営のバス会社の社長になったそうです



「ここに住むユダヤ人は 家族の誰かはなにかがあってるよ」

という現地の方の言葉が印象的でした


そしてそんな中を生き残った人は
アメリカやイスラエルへと渡っていくか
ここで 若干の怯えもありながら生き抜き
 ようやく何十年も経って
ユダヤ教会に行くなど
ユダヤ人としてのアイデンティティをまた取り戻しているということも聞きました


アンネフランクの記事でも書きましたが
まだ100年もたっていなくて
もちろん忘れるはずもなく


加害者も被害者も
同じハンガリー人であり
今もその末裔同士は街ですれ違っているかもしれません


トラウマも差別も 次世代に移ります
それらは気をつけないと
次の争いを生むことになりかねない


差別が生んだユダヤ人の迫害と
国政が生んだ難民の問題とは
全然違うけれども
「キリスト教でない」
ということに脅威を感じる人がいることもまた事実だそう

ただ
どちらもプロパガンダに使われている側面があることは共通していて

「昔もこういう風に始まった」 

と今の状況を見ている若者もいるようです



政治的にはもちろん難しさはあると思いますが
一般人の目線で行くなら
母親として子どもに伝えていこうと思うのは

受け入れる受け入れない
という二者択一の話ではなく
まずは理解 が大切だということ

それが偏見から始まる 次の負の連鎖を断ち切る道に思えます
憩いの場にある靴の碑

靴が語る恐怖や悲しみと
目の前に広がる美しさのギャップが
余計に当時の無情さを感じさせます

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